学長プロフィールと実績

はじめまして、
この度はせどりの学校ドットコムへのご訪問ありがとうございます。
学長の斎藤啓太と申します。
「人生は1度きり」
 
これは私が常日頃に思っている事です。
 
この後詳しくお話させて頂くプロフィールを
ご覧頂ければお分かりいただけますように、
私は一度「がん宣告」を受けた経験があります。
 
無事に生還でき、こうしてせどりの学校ドットコムを
立ち上げることが出来ましたが、
がん宣告された時の思いは今でも忘れていません。
 
人生は1度きり、頭では分かっていたとしても、
本気でそう強く思い行動している方は
あまりいないのではないか?私はそう感じています。
 
実際に私もそうだったからです。
 
「いつか独立して会社に縛られずに自由にいきたい!」
とは思ってはいたものの中々行動できずにいました。
 
がん宣告を受けて「自分はこのまま死んでしまうかもしれない」
そう思うことができた経験は私の人生に取っては大きなプラスになりました。
 
この経験のおかげで悔いのない人生にしようと心の底から強く思い、
独立して自由に生きる為になにをすればいいのかを真剣に考えるように
なったからです。
 
私はせどりに出会い、実践することで、自分自身のビジネスを
持つことができ、自由な自分自身の人生を持つことが出来ました。
 
これは、今このページをお読み頂いているあなたにも可能な未来です。
せどりを始めて、どんな未来を手にしたいですか?
どれだけ稼いでみたいですか?
齋藤_実績
いかがでしょうか?月によって多少の前後はあるものの、
トータルではお陰様で右肩上がりの順調な成長を続けています。
 
これらは全て「せどり」での売上になります。せどりと聞くと
副業レベルのイメージがありかもしれませんが、本業として
大きく稼ぎだすことが出来るビジネスとして実践する
ことも可能です。
 
私がこのビジネスに出会うまでには様々な紆余曲折がありました…。
せどりとの出会いから、独立、月商4000万円を達成するまでのことを
少しお話させて下さい。

きっかけはまさかの「がん宣告」

父の実家のあった千葉で生まれた私は、
小さいころは髪を切るのが大嫌いな少年でした。
その為女の子と間違えられることも多かったようです。
 
小さなころは外でサッカーをしたり体を動かすのが大好きでした。
好きな娘のスカートめくりもよくしていたそうです(悲)
小学校4年生で野球チームに入ったんですが監督が厳しい人で
土曜日や日曜日も練習漬け…好きだったんですけど遊びたい
気持ちもあり休む理由をいつも考えていました…(笑)
 
中学校ではバスケットボール部へと入部。
当時スラムダンクがめちゃくちゃ流行っていたことが理由でも
ありました(笑)3年間頑張りましたが、小学校時代の野球と
一緒で練習をよくサボっていました(あまりのかわらなさに悲しくなります)
 
高校に入って初めてのバイト、一番初めはコンビニの店員でした。
地元の駅前にあるampmで週2日ほど働き、月収5万円でも
すごくうれしかったのを覚えています。高校2年生で初めて
彼女らしい彼女ができました…(照)。
 
中学生のころにも
1度おつきあいした子がいたのですがお互い照れてしまって、
どこか出かけたりすることもなく別れてしまいました…(よくある話ですね)。
デートしたり、電話したりできる初めての彼女、
同じ高校の子だったので自転車で2人乗りで登下校したり、
一緒にお昼食べたりと青春してました(笑)
 
大学へ進学しましたが、目標もなくただ何となく
通っていた毎日に嫌気がさし1年もたたずに中退…。
ガソリンスタンドやクロネコヤマトなどのバイトの毎日へと
変わりました。いつまでもアルバイトでいるわけにもいかないと
思っていたところアパレル販売員だった友人の誘いで
アパレル業界に入社しました。
 
アパレル販売員というとすごく華やかな印象があると思いますが、
古くからあるアパレル会社だったこともあり実に体育会系なノリでした。
売上が悪いと「昼飯なんか食っているなんて、お前は危機感ないな」
「売上悪いんだから休日出勤当たり前だ」みたいな空気なんです。
他のアパレル会社はどうかわかりませんが、私の勤めていた会社は
そんな感じでした。
 
そんな大変な環境で働き続けていたかある日、
体の異変に気が付きました。
 
下顎(あごの横)のあたりが腫れてきてしまったのです。
まあ腫れもたいしたことなかったので
「ほっておけばすぐ直るかな」と特に気にしませんでした。
 
しかし腫れは治まるどころかみるみる大きくなり、
さすがに接客業としてお客様の目線も気になり、
病院に行くことに。近くの総合病院へ行きましたが先生から
「ここじゃ詳しく調べられないからもっと大きい病院を紹介します」
と言われ大きな大学病院へ行く事に…。
 
それから検査までの数日はとにかく不安でした。
大学病院で沢山の検査をした結果は・・・
 
先生「悪性リンパ腫の可能性がきわめて高いです。・・」
 
私「えっ・・・」
 
先生「なんでもっと早く来なかったの?」
 
私「(心の中)え?悪性リンパ腫って???・・・嘘でしょ??」
 
すぐには現実を受け入れられませんでした…。
数日後にはすぐ入院ということに…。
 
とりあえず親にも報告しないと、とは思うものの言い出せません。
 
私「何か病気になっちゃって入院しなきゃいけないんだよねー」
 
母親「えっ・・何の病気??」
 
私「いやー詳しくはわかんないんだけどさ・・・・」
 
母親「はっきり言いなさいよ!」
 
私「・・・悪性リンパ腫の可能性があるらしい。まだ正確にはわかんないんだけどさー」
 
こう言った後、母親は泣きました。
 
「まだ死ぬって決まったわけじゃないし、俺は克服するよ!」
なんて言いましたが、私も心の中では泣いていました。
 
入院の準備をするうちに徐々に自分の状況を受け入れられるようになる一方で、
同時に「後悔」の思いが強くなります。
 
「挑戦したかったのに挑戦しなかったこと」 に対しての後悔です。
あれをやっておけばよかった…
これもやっておけばよかった…、など多くの思いがかけめぐり、
漠然と持っていた「将来は独立する!」といった気持ちもドンドン大きくなっていました。
 
「なんで俺は挑戦しなかったんだ・・・
成功する、しないの前に俺はスタートすらできていなかった・・くそっ…」
本当に後悔しました。
 
入院当日…
手術は3日後だった為、本やDVDなどを持って行きましたが
楽しむ気持ちになれません。全身麻酔の手術を受け、
下顎にある腫瘍の一部を切除し詳しく検査しました。
 
検査結果がでるまでには1週間ほどかかりました。

それは長い長い1週間でした…
 
なぜなら先生に
「症状的にはほぼ悪性リンパ腫であるから覚悟していてほしい…
都内のがんセンターを紹介するから」とまで言われていたからです。
 
そして検査結果、
 
先生「とりあえず安心してください」
 
私「えっ・・・」
 
先生「斉藤さん、悪性のものではなかったんですよ!」
 
私「えっ、本当ですか先生!!そっかぁ…悪性リンパ腫ではなかったのかぁ…」
 
検査の結果「木村病」という病気だったことが判明。
全国でも極めて症例数の少ない奇病だったらしく
写真なども結構撮られました。(苦笑)
 
私の症状だとほぼ間違いなく悪性種のガンを疑うのですが、
珍しいケースだったようです。

退院後、私を待っていたのが「せどり」でした

このような経験をしたこともあって、退院したら本当に
やりたいことに挑戦する人生にしようと心に決めました。
胸にずっと秘めていた「起業」を決意した瞬間でもありました。
 
起業して沢山稼いで、美味しいものをいっぱい食べて、
色んなところに旅行に行って・・・ 悠々自適な生活を実現するんだ!
などと考えていました。
 
しかし現実はというと、「一体何をすればいいのか??」という
状況でした。意気込みだけはあったんですが、具体的には
何も考えていなかったんですね…(汗)
 
アフィリエイト!でもアフィリエイトは前に挑戦したけど
全く稼げなかったし…
株式投資!でも株も前に損しちゃったし…
不動産投資!でも資金は5万円しかないから頭金にもならないし…
こんな調子でしたから、ただただ焦ってばかりで進まない毎日です。
 
そんな時もう見ないし、お金ないもないし売ってしまおうと
「人志松本のすべらない話の初回版のDVD」を
オークションに出品したんです。
 
定価4000円位のDVDが、15000円ほどの値段がついたんです。
 
驚きですよね。
え?中古だよ?なんで定価の何倍もの値段がついたの??と思うわけです。
オークションでは、中古でも高い値段が付く物があることを知ります。
この出来事をきっかけに自宅にある不要品を売りました。
 
しかし自宅にあるものだけではあっという間に売るものがなくなります。
そこでインターネットでいろいろと検索してみました。
 
色々と調べていくうちに「ブックオフで本を仕入れて
Amazonでその商品をを売る【せどり】という方法が
儲かる」という情報にたどり着きます。
 
ブックオフなら近所にあるので会社帰りにでもと
行っては見るのですが、何を買っていいのか全く分かりません。
 
ただ事前に「105円の本を仕入れて高く売れば儲かる」
みたいなことを見つけていたので、105円の商品の中から
売れそうなタイトルを選んで仕入れてみました。
 
結果はと言いますと、見事に外れ。(笑)
どれもこれも1円で出品されている本ばかりでした…(涙)
 
それでもこのせどりというビジネスに可能性を感じ、
インターネットでせどりの情報を集めてはブックオフへ
仕入れ、ということを続けていました。
 
私は20代前半のころ倉庫の荷物の運搬の仕事を
していた時に腰を痛めた経験があったのですが、
ブックオフで大量に本を仕入れて運搬する毎日で見事に再発…
 
儲からないわ、腰を痛めるわで、見事にブックオフせどりに挫折です。
 
でも稼ぎたいという気持ちは折れていなかったので、
もっと別な方法を探し始めます。
「もっと楽に稼ぐ方法はないのなかなぁ」なんて思っていました。(笑)
 
ブックオフせどりについて調べていたとき「Amazonで売る」
という方法があることにたどり着きました。
 
そこでネットで仕入れる方法へと方向転換です。
腰を痛めた私の苦肉の策でした。
 
まずは元々自分の好きなジャンルでリサーチしていきました。
CDを聞いたりDVDを見たりするのが好きだったので
 
ただ思うように稼げそうな商品は見つかりません。
最初こそ何時間もパソコンに向かって頑張るのですが、
日に日にリサーチ時間は短くなっていきます…。
 
Amazonで高く売れそうな商品だ!と仕入れてみるものの
思うように売れなくて結局赤字…
こんなことを続けていくうちにさすがに心が
折れそうになっていました。そんな時でした。

4000円がたった2時間で28000円に!

ある商品がめちゃくちゃ高い値段で売れたんです!
嵐のall or nothingというDVDでした。
 
ケースなしで4000円くらいでヤフオクで仕入れて自分で
ケースを購入ケースに入れてAmazonで28000円くらいで試しに
出品してみたんです。
 
そしたら2時間後には売れていました…。
たった2時間ほどで20000円ほどの利益が出たんです…。
もうそれは大興奮です。思わず小躍りですよ。(笑)
 
本業のアパレルの仕事では休みなく働いて月に15万円ほどのお給料…
日給にしたら5千円ほど…今考えればなんという条件で働いていたんだと…(涙)
 
それがたった一つの商品を出品しただけ、
2時間後には2万円の利益です。
しかも家でゴロゴロしながら探して仕入れた商品だったんです。
もうね、会社で1日12時間くらい働いているのがばかばかしく思いましたよ。
 
この出来事がきっかけで、せどりというビジネスも、
儲かる商品を探すリサーチも楽しくなっていきました。
そして気づいたときは月に10万円ほどの売上になっていました。
 
利益だと5万円ほどです。ただ元々資金があまり無かったので、
仕入れが思うように出来ないんですね。
そこで、クレジットカードを使うようになります。
 
初めは本当にビビりながらでした…。クレジットカードを
使っても返済できなかったら…なんて思いながらの仕入れです。
 
ただクレジットカードを使うことで仕入れる量が増やせるようになり、
比例して売り上げもあがるようになっていきます。
月に50万円ほどの売上があがるようになりました。
 
銀行口座に売上金の50万円が入金されると、すごく儲かった気になります。
 
浮かれている頃にクレジットカード会社から
数十万円の請求がきて現実に引き戻されます…(笑)
 
このようなきっかで仕入れを増やすことになり、
繰り返していく事で月の売り上げは100万円近くまできました。
 
相変わらずクレジットカードからの請求に追われていましたけどね(笑)
月に1回だけ、自分へのご褒美で近所の焼き肉屋さんに。
この楽しみをモチベーションに頑張りました。
(焼肉が楽しみで頑張れるなんて単純!って思いました??笑)

月商100万円を超えて独立を意識

月商100万円を超え資金にも余裕がでてきたので、
中古を扱いつつ新品も扱うようになりました。
 
AKB48の「会いたかった」というCDの初回限定版を新品で
12000円位で仕入れてみたところ、そのCDは49800円で売れました。
 
中古は日が経つにつれ商品が増えていきくので割と相場に
近い価格帯でないと売れません。新品は日が経つにつれ商品が
少なくなくなっていくんですね、出品者が自分だけとなると
相場を無視した値段をつけられるようになります。
 
属に言う、俺様価格ってやつです。
49800円で売れたAKB48のCDはまさに俺様価格でした。
 
このことをきつかけに扱う商品は、
中古から新品へとシフトしていきます。
 
ちょうどその頃でした、勤めていたアパレルの
会社にある人が入社してきました。
 
歳は50歳手前くらいだったと思いますが、
すごくよく売るスーパー販売員として名の知れた人だったんです。
 
当時在籍していた会社を首になり、僕の部下として
入社してきたんですね。ただ、正直複雑でした。
 
社長は「もう歳だし、どうせ行くとこないから
最低賃金で雇ってやった」と言っていましたし…。
 
他人事とは思えませんでした。あんなに結果を出してきた人が
年を取って必要とされなくなる瞬間を目の当たりにするわけです…。
 
「自分も結局年を取ったら同じようになるのでは…」
 
会社の業績も年々厳しくなる一方でしたから、
より一層独立への思いが強くなります。
 
「とにかくまずはせどりで安定的に
稼げるようになって会社を辞めよう」
そう思いました。自らを追い込むためにも、
会社を辞める決意をし、社長に意志を伝えました。
 
とは言っても葛藤はありました。
会社員として働いていれば少ないとは言え毎月お給料が貰えます。
やっぱり独立することへの恐怖は大きなものでした。
 
色々と心配をかけ親にも相談しましたが、
「独立なんてこの不景気ではうまくいくはずがない・・・」と言われます。
 
一方で独立の為にとセミナーなどにも出席する機会が増えていたのですが、
そこでお会いする経営者の方からは、
「何で会社辞めないの?とにかく辞めちゃいなよ。
その方が稼げるよ!」と言われたりもします。
 
心は揺れました。
 
でも独立して稼いでいる方から頂くアドバイスは、
「早く辞めた方がいいよ!」という内容ばかりです。
病気をして後悔でいっぱいになった時の気持ちを思い出しました。
結論は最初から出ていたはずです。
 
「よし、明日社長に辞める意思を伝えよう!」そう決心しました。

 
翌日、
「僕は会社を辞めたいと考えています。
病気をして死ぬかもしれないと思ったときに後悔するような
人生にはしたくないと思ったんです。
僕は独立をしたいという気持ちがあります。
失敗してもいいのでとにかくチャレンジしたいんです。
だから辞めさせてください。」
 
正確には覚えていないのですがこのようなことを伝えました。

独立は予期せぬタイミングで突然に

社長には引き止められましたが僕の意思が固いということを
理解して頂き、半年後の退職を目途にそれまでは引き続きを
しっかりとすること、となりました。
 
これが2011年の2月のことです。
「よし、半年後の8月までにせどりを軌道に乗せるぞ」と
気合いが入っていました。
 
ところが2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
 
私の住んでいる千葉も今まで経験したことのないぐらいの揺れでした。
電車も止まり大混乱でした。震災の影響で、せどりの商品を
保管するFBAのセンターも被害を受け出荷停止の状態に陥りました。
 
しかも再会目処は未定、出荷されないということは
売上があがらないことを意味します。
 
悪夢は続きました。
 
会社も震災の影響でを受けている状況で人件費なども
大変な時期です。退職の決まっている私に
「はやく独立したいでしょ?今日で辞めてもいいよ?」と
通達がありました。
 
独立する予定ではあったものの、
予期せぬタイミングで不安になりました。
 
震災直後の大混乱、FBAの停止でせどりでの売り上げもゼロ、
FBAで保管していた荷物も震災の影響でどうなっているのか
わからない状態です。
 
最悪バイトでもなんでもすればいい、と腹を決めました。
幸いなことに4月の上旬頃にはFBAも販売再会され徐々に
売り上げも上がっていくように。
 
準備万端とは言えないタイミングではありましたがついに
独立することになりました。2011年4月、今の会社を設立しました。

「予約転売」を取り入れブレイクスルー

独立後せどり一本に集中することで
月商300万円~500万円くらいを推移するまでになっていました。
 
手法としては、
オークションで仕入れて、Amazonで売るという電脳せどり一本でした。
しかしこの頃限界を感じていました。
 
元々資金が潤沢だったわけではないので、回転を速く回すことを
意識していました。いつか売れるかもしれないと長期的な視野での
仕入れは出来なかったんですね。
そんなこともあって、この頃電脳せどりだけでは頭打ちになると
感じていました。
 
どうすれば現状を打破できるのか、たどり着いた答えが「予約転売」です。
 
当時は予約転売などの手法も確立されておらず、
完全に独学で実践していきました。
 
予約転売はとにかく旬のものを扱うので回転が速く、
資金効率の良い方法です。それでいて、一気に売上を上げることも出来ます。
 
実際に大きく儲かった商品との1つにミスチル初のベストアルバムがあり、
初回版を扱うことで300万円ほどの利益を出すことが出来ました。
 
もちろん失敗もしましたが、繰り返し実践し経験を積むことで、
失敗する確率も減り、どうすれば大きな利益を得られるのか
ノウハウを確立することが出来ました。
 
この方法はスクールでもお話しています。
多くの受講生の方が同じように利益を出せるようになっています。
 
これは僕だからできるということではなく、しっかり実践している
僕のコンサル生さんも利益を出していますのでしっかりとした方法を
実践していれば誰でもできるノウハウだと確信しています。

月商1000万円を達成するも壁にぶちあたる

予約転売を取り入れたことで月商1000万円は到達できました。
しかし予約転売はめぼしい商品がない時には大きな売り上げ
にはならない方法でもありました。安定的に売上を上げる
方法とは言えませんでした。
 
電脳せどり一本での限界を予約転売で突破したかに見えましたが、
ここでまた壁にぶち当たりました。もっと規模を大きくしたい、
そう考えていた私がたどり着いた結論は「ジャンルの拡大」です。
 
一般的にせどりは、CD、DVD、ゲーム、ホビー、おもちゃ、
家電などを扱うイメージがあると思いますが、世の中には
まだまだ沢山の商品があります。こうした一般的には
扱っていない商品ジャンルへ乗り出そうと考えました。とは言え、
未開拓のジャンルですから、誰もやり方を教えてくれません。
とにかく自分で実践して試していくしかありません。
 
出品からどのくらいの期間で売れるのか?
売れたとしてもクレームなどが起きないか?
不良品の発生する確率はどのくらいかな?
などなどとにかくテストを繰り返しながら多くのジャンルを
開拓していきました。
 
情報が出回っていないジャンルは未知の世界でありリスクも
ありますが、同時に競合がいないことを意味します。
そこはまさにブルーオーシャンでした。
 
回転率も良く利益率も高い、そんな商品は探せば
沢山あることに気が付くことが出来ました。
こうして新たなジャンルを開拓することで、
月商1000万円の規模を突破し、2000万円ほどの規模に
まで成長させることが出来ました。
 
月商2000万円位になると経済的にも余裕が出てきます。
収入だと大企業の社長レベルの金額ですよね。
起業当初は利益を仕入れにまわしていましたので
本当にお金の無い生活でした…。
 
車なんて持てませんし、食事も月1回の焼き肉が
唯一の楽しみでした。
 
年収が上がると信用も上がります。
一番嬉しかったのはプラチナカードが持てたことです。
プラチナカードの招待状が家に届いたときは
本当嬉しかったのを覚えています。
 
「俺プラチナカードなんて持っちゃっていいの??」
なんてニヤニヤしながら眺めていました。(笑)
 
プラチナカードだとコンシェルジュがつくんですね。
「○○近辺でお洒落で落ち着く雰囲気でお肉料理が美味しいお店ない?」
なんて要望するとすぐに探してくれ予約までしてくれます。
お店の予約とかだけではなく何でもやってくれます。
 
一度はファーストクラスに乗ってみたり、ホテルのスイートルームに
泊まりたいとは思っていましたが、これも全部実現することが出来ました。
せどりに出会えたことに感謝した瞬間でもあります。

更なるチャレンジで月商4000万円を達成!

私のチャレンジはまだまだ続きます。
 
ジャンルの拡大で売上を伸ばすことが出来た次は、
販路の拡大に取り組みました。
 
せどりと言えば「Amazonで売る」ことがベースとなりますが、
Amazonじゃないと売れないわけではないんですね。
私も同じように感じていたのですが、あるテレビ番組がヒントになりました。
 
地方の小さなスーパーマーケットの特集をやっていたのですが、
そのスーパーの年商は10億円でした。びっくりしました、
「こんな小さなお店がそんなに売れてるの??」って
正直に思ってしまいました。
 
スーパーとは言っても販路を多く持っていたことが
その秘密だったんですね。そこで気が付くわけです。
 
せどりと言えばAmazonで販売する、と決めつけてしまいがちですが、
視野を広げてみれば販売する場所はそこだけではないことに
気が付くことが出来ます。もちろんAmazon自体は大きな市場では
あるのですが、国内のあらゆる市場を含めて考えると
それは本当にごくごく狭い範囲であることが分かります。
 
さらに国内だけでなく海外の市場まで含めた視野で考えると、
販路はいくらでも開拓できると考えました。
こうしてAmazon以外の販路の拡大にもチャレンジしていきました。
 
こうして振り返ってみると私がここまで順調に拡大できた一番の要因は
「チャレンジ精神」にあったことに気が付くことが出来ます。
ビジネスセンスがあったわけでも、多くの資金があったわけでもありません。
強い意志とチャレンジ精神、これだけです。
 
Amazon以外の販路の拡大への挑戦は、
開始から3ヶ月で月商2400万円もの売上になりました。
 
もちろんAmazonでの販売も並行して行っていましたので、
両方合わせると月商4000万円となりました。
 
その後海外への販路拡大にも挑戦、海外への販売だけで
月商3000万円もの売上規模へと成長させることも出来ました。

これは「私だからできた」わけではありません

せどりで月商4000万円を達成したと聞くと、
多くの人が「斉藤さんだからできたんでしょ?」と言いますが、これは違います。
 
先程も少しお話しましたが、私には何か特別な才能があったわけでもなく、
沢山の資金を持っていたわけでもありません。
 
ただ愚直に実践しチャレンジを続けてきた、
これが今の結果に繋がったたった1つの理由であり事実だと思います。
 
そしてこれは今このページをお読みのあなたにも実現可能な事実です。
 
せどりはとにかくシンプルなビジネスです。
正しい方法でしっかりと実践して頂くことで成果に繋げることが可能です。
 
せどりの学校ドットコムを通じて、多くの方が「自分らしい人生」を
手に入れて欲しいと願っています。本気で人生を変えたい、
そんな方のお手伝いが出来ればと考え設立したのが
「せどりの学校ドットコム」です。
 
理想の人生の実現に向けて、
一緒に頑張っていきましょう。

学長プロフィールと実績

はじめまして、
この度はせどりの学校ドットコムへのご訪問ありがとうございます。
学長の斎藤啓太と申します。
「人生は1度きり」
 
これは私が常日頃に思っている事です。
 
この後詳しくお話させて頂くプロフィールをご覧頂ければお分かりいただけますように、私は一度「がん宣告」を受けた経験があります。
 
無事に生還でき、こうしてせどりの学校ドットコムを立ち上げることが出来ましたが、がん宣告された時の思いは今でも忘れていません。
 
人生は1度きり、頭では分かっていたとしても、本気でそう強く思い行動している方はあまりいないのではないか?私はそう感じています。
 
実際に私もそうだったからです。
 
「いつか独立して会社に縛られずに自由にいきたい!」とは思ってはいたものの中々行動できずにいました。
 
がん宣告を受けて「自分はこのまま死んでしまうかもしれない」そう思うことができた経験は私の人生に取っては大きなプラスになりました。
 
この経験のおかげで悔いのない人生にしようと心の底から強く思い、独立して自由に生きる為になにをすればいいのかを真剣に考えるようになったからです。
 
私はせどりに出会い、実践することで、自分自身のビジネスを持つことができ、自由な自分自身の人生を持つことが出来ました。
 
これは、今このページをお読み頂いているあなたにも可能な未来です。
せどりを始めて、どんな未来を手にしたいですか?
どれだけ稼いでみたいですか?
齋藤_実績
いかがでしょうか?月によって多少の前後はあるものの、トータルではお陰様で右肩上がりの順調な成長を続けています。
 
これらは全て「せどり」での売上になります。せどりと聞くと副業レベルのイメージがありかもしれませんが、本業として大きく稼ぎだすことが出来るビジネスとして実践することも可能です。
 
私がこのビジネスに出会うまでには様々な紆余曲折がありました…。
せどりとの出会いから、独立、月商4000万円を達成するまでのことを少しお話させて下さい。

きっかけはまさかの
「がん宣告」

1978年4月10日に父の実家のあった千葉で生まれた私は、小さいころは髪を切るのが大嫌いな少年でした。その為女の子と間違えられることも多かったようです。
 
小さなころは外でサッカーをしたり体を動かすのが大好きでした。
好きな娘のスカートめくりもよくしていたそうです(悲)
小学校4年生で野球チームに入ったんですが監督が厳しい人で土曜日や日曜日も練習漬け…好きだったんですけど遊びたい気持ちもあり休む理由をいつも考えていました…(笑)
 
中学校ではバスケットボール部へと入部。
当時スラムダンクがめちゃくちゃ流行っていたことが理由でもありました(笑)3年間頑張りましたが、小学校時代の野球と一緒で練習をよくサボっていました(あまりのかわらなさに悲しくなります)
 
高校に入って初めてのバイト、一番初めはコンビニの店員でした。地元の駅前にあるampmで週2日ほど働き、月収5万円でもすごくうれしかったのを覚えています。高校2年生で初めて彼女らしい彼女ができました…(照)。
 
中学生のころにも1度おつきあいした子がいたのですがお互い照れてしまって、どこか出かけたりすることもなく別れてしまいました…(よくある話ですね)。デートしたり、電話したりできる初めての彼女、同じ高校の子だったので自転車で2人乗りで登下校したり、一緒にお昼食べたりと青春してました(笑)。
 
大学へ進学しましたが、目標もなくただ何となく通っていた毎日に嫌気がさし1年もたたずに中退…。ガソリンスタンドやクロネコヤマトなどのバイトの毎日へと変わりました。いつまでもアルバイトでいるわけにもいかないと思っていたところアパレル販売員だった友人の誘いでアパレル業界に入社しました。
 
アパレル販売員というとすごく華やかな印象があると思いますが、古くからあるアパレル会社だったこともあり実に体育会系なノリでした。売上が悪いと「昼飯なんか食っているなんて、お前は危機感ないな」「売上悪いんだから休日出勤当たり前だ」みたいな空気なんです。他のアパレル会社はどうかわかりませんが、私の勤めていた会社はそんな感じでした。
 
そんな大変な環境で働き続けていたかある日、体の異変に気が付きました。
 
下顎(あごの横)のあたりが腫れてきてしまったのです。まあ腫れもたいしたことなかったので「ほっておけばすぐ直るかな」と特に気にしませんでした。
 
しかし腫れは治まるどころかみるみる大きくなり、さすがに接客業としてお客様の目線も気になり、
病院に行くことに。近くの総合病院へ行きましたが先生から「ここじゃ詳しく調べられないからもっと大きい病院を紹介します」と言われ大きな大学病院へ行く事に…。
 
それから検査までの数日はとにかく不安でした。
 
大学病院で沢山の検査をした結果は・・・
 
先生「悪性リンパ腫の可能性がきわめて高いです。・・」
 
私「えっ・・・」
 
先生「なんでもっと早く来なかったの?」
 
私「(心の中)え?悪性リンパ腫って???・・・嘘でしょ??」
 
すぐには現実を受け入れられませんでした…。数日後にはすぐ入院ということに…。
 
とりあえず親にも報告しないと、とは思うものの言い出せません。
 
私「何か病気になっちゃって入院しなきゃいけないんだよねー」
 
母親「えっ・・何の病気??」
 
私「いやー詳しくはわかんないんだけどさ・・・・」
 
母親「はっきり言いなさいよ!」
 
私「・・・悪性リンパ腫の可能性があるらしい。まだ正確にはわかんないんだけどさー」
 
こう言った後、母親は泣きました。
 
「まだ死ぬって決まったわけじゃないし、俺は克服するよ!」なんて言いましたが、私も心の中では泣いていました。
 
入院の準備をするうちに徐々に自分の状況を受け入れられるようになる一方で、同時に「後悔」の思いが強くなります。
 
「挑戦したかったのに挑戦しなかったこと」 に対しての後悔です。
あれをやっておけばよかった…
これもやっておけばよかった…、など多くの思いがかけめぐり、漠然と持っていた「将来は独立する!」といった気持ちもドンドン大きくなっていました。
 
「なんで俺は挑戦しなかったんだ・・・
成功する、しないの前に俺はスタートすらできていなかった・・くそっ…」本当に後悔しました。
 
入院当日…
手術は3日後だった為、本やDVDなどを持って行きましたが楽しむ気持ちになれません。全身麻酔の手術を受け、下顎にある腫瘍の一部を切除し詳しく検査しました。
 
検査結果がでるまでには1週間ほどかかりました。

それは長い長い1週間でした…
 
なぜなら先生に「症状的にはほぼ悪性リンパ腫であるから覚悟していてほしい…都内のがんセンターを紹介するから」とまで言われていたからです。
 
そして検査結果、
 
先生「とりあえず安心してください」
 
私「えっ・・・」
 
先生「斉藤さん、悪性のものではなかったんですよ!」
 
私「えっ、本当ですか先生!!そっかぁ…悪性リンパ腫ではなかったのかぁ…」
 
検査の結果「木村病」という病気だったことが判明。
全国でも極めて症例数の少ない奇病だったらしく写真なども結構撮られました。(苦笑)
 
私の症状だとほぼ間違いなく悪性種のガンを疑うのですが、珍しいケースだったようです。

退院後、私を待っていたのが「せどり」でした

このような経験をしたこともあって、退院したら本当にやりたいことに挑戦する人生にしようと心に決めました。胸にずっと秘めていた「起業」を決意した瞬間でもありました。
 
起業して沢山稼いで、美味しいものをいっぱい食べて、色んなところに旅行に行って・・・ 悠々自適な生活を実現するんだ!などと考えていました。
 
しかし現実はというと、「一体何をすればいいのか??」という状況でした。意気込みだけはあったんですが、具体的には何も考えていなかったんですね…(汗)
 
アフィリエイト!でもアフィリエイトは前に挑戦したけど全く稼げなかったし…
株式投資!でも株も前に損しちゃったし…
不動産投資!でも資金は5万円しかないから頭金にもならないし…
こんな調子でしたから、ただただ焦ってばかりで進まない毎日です。
 
そんな時もう見ないし、お金ないもないし売ってしまおうと「人志松本のすべらない話の初回版のDVD」をオークションに出品したんです。
 
定価4000円位のDVDが、15000円ほどの値段がついたんです。
 
驚きですよね。
 
え?中古だよ?なんで定価の何倍もの値段がついたの??と思うわけです。
オークションでは、中古でも高い値段が付く物があることを知ります。
この出来事をきっかけに自宅にある不要品を売りました。
 
しかし自宅にあるものだけではあっという間に売るものがなくなります。
そこでインターネットでいろいろと検索してみました。
 
色々と調べていくうちに「ブックオフで本を仕入れてAmazonでその商品をを売る【せどり】という方法が儲かる」という情報にたどり着きます。
 
ブックオフなら近所にあるので会社帰りにでもと行っては見るのですが、何を買っていいのか全く分かりません。
 
ただ事前に「105円の本を仕入れて高く売れば儲かる」みたいなことを見つけていたので、105円の商品の中から売れそうなタイトルを選んで仕入れてみました。
 
結果はと言いますと、見事に外れ。(笑)
どれもこれも1円で出品されている本ばかりでした…(涙)
 
それでもこのせどりというビジネスに可能性を感じ、インターネットでせどりの情報を集めてはブックオフへ仕入れ、ということを続けていました。
 
私は20代前半のころ倉庫の荷物の運搬の仕事をしていた時に腰を痛めた経験があったのですが、ブックオフで大量に本を仕入れて運搬する毎日で見事に再発…
 
儲からないわ、腰を痛めるわで、見事にブックオフせどりに挫折です。
 
でも稼ぎたいという気持ちは折れていなかったので、もっと別な方法を探し始めます。
「もっと楽に稼ぐ方法はないのなかなぁ」なんて思っていました。(笑)
 
ブックオフせどりについて調べていたとき「Amazonで売る」という方法があることにたどり着きました。
 
そこでネットで仕入れる方法へと方向転換です。腰を痛めた私の苦肉の策でした。
 
まずは元々自分の好きなジャンルでリサーチしていきました。
CDを聞いたりDVDを見たりするのが好きだったので多少の知識はあったことが理由です。
 
ただ思うように稼げそうな商品は見つかりません。最初こそ何時間もパソコンに向かって頑張るのですが、日に日にリサーチ時間は短くなっていきます…。
 
Amazonで高く売れそうな商品だ!と仕入れてみるものの思うように売れなくて結局赤字…
こんなことを続けていくうちにさすがに心が折れそうになっていました。そんな時でした。

4000円がたった2時間で28000円に!

ある商品がめちゃくちゃ高い値段で売れたんです!嵐のall or nothingというDVDでした。
 
ケースなしで4000円くらいでヤフオクで仕入れて自分でケースを購入ケースに入れてAmazonで28000円くらいで試しに出品してみたんです。
 
そしたら2時間後には売れていました…。たった2時間ほどで20000円ほどの利益が出たんです…。もうそれは大興奮です。思わず小躍りですよ。(笑)
 
本業のアパレルの仕事では休みなく働いて月に15万円ほどのお給料…日給にしたら5千円ほど…今考えればなんという条件で働いていたんだと…(涙)
 
それがたった一つの商品を出品しただけ、2時間後には2万円の利益です。しかも家でゴロゴロしながら探して仕入れた商品だったんです。もうね、会社で1日12時間くらい働いているのがばかばかしく思いましたよ。
 
この出来事がきっかけで、せどりというビジネスも、儲かる商品を探すリサーチも楽しくなっていきました。そして気づいたときは月に10万円ほどの売上になっていました。
 
利益だと5万円ほどです。ただ元々資金があまり無かったので、仕入れが思うように出来ないんですね。そこで、クレジットカードを使うようになります。
 
初めは本当にビビりながらでした…。クレジットカードを使っても返済できなかったら…なんて思いながらの仕入れです。
 
ただクレジットカードを使うことで仕入れる量が増やせるようになり、比例して売り上げもあがるようになっていきます。月に50万円ほどの売上があがるようになりました。
 
銀行口座に売上金の50万円が入金されると、すごく儲かった気になります。
 
浮かれている頃にクレジットカード会社から数十万円の請求がきて現実に引き戻されます…(笑)
 
このようなきっかで仕入れを増やすことになり、繰り返していく事で月の売り上げは100万円近くまできました。
 
相変わらずクレジットカードからの請求に追われていましたけどね(笑)。月に1回だけ、自分へのご褒美で近所の焼き肉屋さんに。この楽しみをモチベーションに頑張りました。(焼肉が楽しみで頑張れるなんて単純!って思いました??笑)

月商100万円を超えて
独立を意識

月商100万円を超え資金にも余裕がでてきたので、中古を扱いつつ新品も扱うようになりました。
 
AKB48の「会いたかった」というCDの初回限定版を新品で12000円位で仕入れてみたところ、そのCDは49800円で売れました。
 
中古は日が経つにつれ商品が増えていきくので割と相場に近い価格帯でないと売れません。新品は日が経つにつれ商品が少なくなくなっていくんですね、出品者が自分だけとなると相場を無視した値段をつけられるようになります。
 
属に言う、俺様価格ってやつです。49800円で売れたAKB48のCDはまさに俺様価格でした。
 
このことをきつかけに扱う商品は、中古から新品へとシフトしていきます。
 
ちょうどその頃でした、勤めていたアパレルの会社にある人が入社してきました。
 
歳は50歳手前くらいだったと思いますが、すごくよく売るスーパー販売員として名の知れた人だったんです。
 
当時在籍していた会社を首になり、僕の部下として入社してきたんですね。ただ、正直複雑でした。
 
社長は「もう歳だし、どうせ行くとこないから最低賃金で雇ってやった」と言っていましたし…。
 
他人事とは思えませんでした。あんなに結果を出してきた人が年を取って必要とされなくなる瞬間を目の当たりにするわけです…。
 
「自分も結局年を取ったら同じようになるのでは…」
 
会社の業績も年々厳しくなる一方でしたから、より一層独立への思いが強くなります。
 
「とにかくまずはせどりで安定的に稼げるようになって会社を辞めよう」そう思いました。自らを追い込むためにも、会社を辞める決意をし、社長に意志を伝えました。
 
とは言っても葛藤はありました。会社員として働いていれば少ないとは言え毎月お給料が貰えます。やっぱり独立することへの恐怖は大きなものでした。
 
色々と心配をかけ親にも相談しましたが、「独立なんてこの不景気ではうまくいくはずがない・・・」と言われます。
 
一方で独立の為にとセミナーなどにも出席する機会が増えていたのですが、そこでお会いする経営者の方からは、「何で会社辞めないの?とにかく辞めちゃいなよ。その方が稼げるよ!」と言われたりもします。
 
心は揺れました。
 
でも独立して稼いでいる方から頂くアドバイスは、「早く辞めた方がいいよ!」という内容ばかりです。病気をして後悔でいっぱいになった時の気持ちを思い出しました。結論は最初から出ていたはずです。
 
「よし、明日社長に辞める意思を伝えよう!」そう決心しました。

 
翌日、
「僕は会社を辞めたいと考えています。病気をして死ぬかもしれないと思ったときに後悔するような人生にはしたくないと思ったんです。僕は独立をしたいという気持ちがあります。失敗してもいいのでとにかくチャレンジしたいんです。だから辞めさせてください。」
 
正確には覚えていないのですがこのようなことを伝えました。

独立は予期せぬタイミングで突然に

社長には引き止められましたが僕の意思が固いということを理解して頂き、半年後の退職を目途にそれまでは引き続きをしっかりとすること、となりました。
 
これが2011年の2月のことです。「よし、半年後の8月までにせどりを軌道に乗せるぞ」と気合いが入っていました。
 
ところが2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
 
私の住んでいる千葉も今まで経験したことのないぐらいの揺れでした。
電車も止まり大混乱でした。震災の影響で、せどりの商品を保管するFBAのセンターも被害を受け出荷停止の状態に陥りました。
 
しかも再会目処は未定、出荷されないということは売上があがらないことを意味します。
 
悪夢は続きました。
 
会社も震災の影響でを受けている状況で人件費なども大変な時期です。退職の決まっている私に「はやく独立したいでしょ?今日で辞めてもいいよ?」と通達がありました。
 
独立する予定ではあったものの、予期せぬタイミングで不安になりました。
 
震災直後の大混乱、FBAの停止でせどりでの売り上げもゼロ、FBAで保管していた荷物も震災の影響でどうなっているのかわからない状態です。
 
最悪バイトでもなんでもすればいい、と腹を決めました。
幸いなことに4月の上旬頃にはFBAも販売再会され徐々に売り上げも上がっていくように。
 
準備万端とは言えないタイミングではありましたがついに独立することになりました。2011年4月、今の会社を設立しました。

「予約転売」を取り入れ
ブレイクスルー

独立後せどり一本に集中することで月商300万円~500万円くらいを推移するまでになっていました。
 
手法としては、オークションで仕入れて、Amazonで売るという電脳せどり一本でした。しかしこの頃限界を感じていました。
 
元々資金が潤沢だったわけではないので、回転を速く回すことを意識していました。いつか売れるかもしれないと長期的な視野での仕入れは出来なかったんですね。そんなこともあって、この頃電脳せどりだけでは頭打ちになると感じていました。
 
どうすれば現状を打破できるのか、たどり着いた答えが「予約転売」です。
 
当時は予約転売などの手法も確立されておらず、完全に独学で実践していきました。
 
予約転売はとにかく旬のものを扱うので回転が速く、資金効率の良い方法です。それでいて、一気に売上を上げることも出来ます。
 
実際に大きく儲かった商品との1つにミスチル初のベストアルバムがあり、初回版を扱うことで300万円ほどの利益を出すことが出来ました。
 
もちろん失敗もしましたが、繰り返し実践し経験を積むことで、失敗する確率も減り、どうすれば大きな利益を得られるのかノウハウを確立することが出来ました。
 
この方法はスクールでもお話しています。多くの受講生の方が同じように利益を出せるようになっています。
 
これは僕だからできるということではなく、しっかり実践している僕のコンサル生さんも利益を出していますのでしっかりとした方法を実践していれば誰でもできるノウハウだと確信しています。

月商1000万円を達成するも壁にぶちあたる

予約転売を取り入れたことで月商1000万円は到達できました。しかし予約転売はめぼしい商品がない時には大きな売り上げにはならない方法でもありました。安定的に売上を上げる方法とは言えませんでした。
 
電脳せどり一本での限界を予約転売で突破したかに見えましたが、ここでまた壁にぶち当たりました。もっと規模を大きくしたい、そう考えていた私がたどり着いた結論は「ジャンルの拡大」です。
 
一般的にせどりは、CD、DVD、ゲーム、ホビー、おもちゃ、家電などを扱うイメージがあると思いますが、世の中にはまだまだ沢山の商品があります。こうした一般的には扱っていない商品ジャンルへ乗り出そうと考えました。とは言え、未開拓のジャンルですから、誰もやり方を教えてくれません。
とにかく自分で実践して試していくしかありません。
 
出品からどのくらいの期間で売れるのか?
売れたとしてもクレームなどが起きないか?
不良品の発生する確率はどのくらいかな?
などなどとにかくテストを繰り返しながら多くのジャンルを開拓していきました。
 
情報が出回っていないジャンルは未知の世界でありリスクもありますが、同時に競合がいないことを意味します。そこはまさにブルーオーシャンでした。
 
回転率も良く利益率も高い、そんな商品は探せば沢山あることに気が付くことが出来ました。こうして新たなジャンルを開拓することで、月商1000万円の規模を突破し、2000万円ほどの規模にまで成長させることが出来ました。
 
月商2000万円位になると経済的にも余裕が出てきます。収入だと大企業の社長レベルの金額ですよね。起業当初は利益を仕入れにまわしていましたので本当にお金の無い生活でした…。
 
車なんて持てませんし、食事も月1回の焼き肉が唯一の楽しみでした。
 
年収が上がると信用も上がります。
一番嬉しかったのはプラチナカードが持てたことです。
プラチナカードの招待状が家に届いたときは本当嬉しかったのを覚えています。
 
「俺プラチナカードなんて持っちゃっていいの??」なんてニヤニヤしながら眺めていました。(笑)
 
プラチナカードだとコンシェルジュがつくんですね。
「○○近辺でお洒落で落ち着く雰囲気でお肉料理が美味しいお店ない?」なんて要望するとすぐに探してくれ予約までしてくれます。お店の予約とかだけではなく何でもやってくれます。
 
一度はファーストクラスに乗ってみたり、ホテルのスイートルームに泊まりたいとは思っていましたが、これも全部実現することが出来ました。せどりに出会えたことに感謝した瞬間でもあります。

更なるチャレンジで
月商4000万円を達成!

私のチャレンジはまだまだ続きます。
 
ジャンルの拡大で売上を伸ばすことが出来た次は、販路の拡大に取り組みました。
 
せどりと言えば「Amazonで売る」ことがベースとなりますが、Amazonじゃないと売れないわけではないんですね。私も同じように感じていたのですが、あるテレビ番組がヒントになりました。
 
地方の小さなスーパーマーケットの特集をやっていたのですが、そのスーパーの年商は10億円でした。びっくりしました、「こんな小さなお店がそんなに売れてるの??」って正直に思ってしまいました。
 
スーパーとは言っても販路を多く持っていたことがその秘密だったんですね。そこで気が付くわけです。
 
せどりと言えばAmazonで販売する、と決めつけてしまいがちですが、視野を広げてみれば販売する場所はそこだけではないことに気が付くことが出来ます。もちろんAmazon自体は大きな市場ではあるのですが、国内のあらゆる市場を含めて考えるとそれは本当にごくごく狭い範囲であることが分かります。
 
さらに国内だけでなく海外の市場まで含めた視野で考えると、販路はいくらでも開拓できると考えました。こうしてAmazon以外の販路の拡大にもチャレンジしていきました。
 
こうして振り返ってみると私がここまで順調に拡大できた一番の要因は「チャレンジ精神」にあったことに気が付くことが出来ます。ビジネスセンスがあったわけでも、多くの資金があったわけでもありません。強い意志とチャレンジ精神、これだけです。
 
Amazon以外の販路の拡大への挑戦は、開始から3ヶ月で月商2400万円もの売上になりました。
 
もちろんAmazonでの販売も並行して行っていましたので、両方合わせると月商4000万円となりました。
 
その後海外への販路拡大にも挑戦、海外への販売だけで月商3000万円もの売上規模へと成長させることも出来ました。

これは「私だからできた」わけではありません

せどりで月商4000万円を達成したと聞くと、多くの人が「斉藤さんだからできたんでしょ?」と言いますが、これは違います。
 
先程も少しお話しましたが、私には何か特別な才能があったわけでもなく、沢山の資金を持っていたわけでもありません。
 
ただ愚直に実践しチャレンジを続けてきた、これが今の結果に繋がったたった1つの理由であり事実だと思います。
 
そしてこれは今このページをお読みのあなたにも実現可能な事実です。
 
せどりはとにかくシンプルなビジネスです。正しい方法でしっかりと実践して頂くことで成果に繋げることが可能です。
 
せどりの学校ドットコムを通じて、多くの方が「自分らしい人生」を手に入れて欲しいと願っています。本気で人生を変えたい、そんな方のお手伝いが出来ればと考え設立したのが「せどりの学校ドットコム」です。
 
理想の人生の実現に向けて、一緒に頑張っていきましょう。

学長プロフィールと実績

はじめまして、
この度はせどりの学校ドットコムへのご訪問ありがとうございます。
学長の斎藤啓太と申します。
「人生は1度きり」
 
これは私が常日頃に思っている事です。
 
この後詳しくお話させて頂くプロフィールを
ご覧頂ければお分かりいただけますように、
私は一度「がん宣告」を受けた経験があります。
 
無事に生還でき、こうしてせどりの学校ドットコムを
立ち上げることが出来ましたが、
がん宣告された時の思いは今でも忘れていません。
 
人生は1度きり、頭では分かっていたとしても、
本気でそう強く思い行動している方は
あまりいないのではないか?私はそう感じています。
 
実際に私もそうだったからです。
 
「いつか独立して会社に縛られずに自由にいきたい!」
とは思ってはいたものの中々行動できずにいました。
 
がん宣告を受けて「自分はこのまま死んでしまうかもしれない」
そう思うことができた経験は私の人生に取っては大きなプラスになりました。
 
この経験のおかげで悔いのない人生にしようと心の底から強く思い、
独立して自由に生きる為になにをすればいいのかを真剣に考えるように
なったからです。
 
私はせどりに出会い、実践することで、自分自身のビジネスを
持つことができ、自由な自分自身の人生を持つことが出来ました。
 
これは、今このページをお読み頂いているあなたにも可能な未来です。
せどりを始めて、どんな未来を手にしたいですか?
どれだけ稼いでみたいですか?
齋藤_実績
いかがでしょうか?月によって多少の前後はあるものの、
トータルではお陰様で右肩上がりの順調な成長を続けています。
 
これらは全て「せどり」での売上になります。せどりと聞くと
副業レベルのイメージがありかもしれませんが、本業として
大きく稼ぎだすことが出来るビジネスとして実践する
ことも可能です。
 
私がこのビジネスに出会うまでには様々な紆余曲折がありました…。
せどりとの出会いから、独立、月商4000万円を達成するまでのことを
少しお話させて下さい。

きっかけはまさかの「がん宣告」

父の実家のあった千葉で生まれた私は、
小さいころは髪を切るのが大嫌いな少年でした。
その為女の子と間違えられることも多かったようです。
 
小さなころは外でサッカーをしたり体を動かすのが大好きでした。
好きな娘のスカートめくりもよくしていたそうです(悲)
小学校4年生で野球チームに入ったんですが監督が厳しい人で
土曜日や日曜日も練習漬け…好きだったんですけど遊びたい
気持ちもあり休む理由をいつも考えていました…(笑)
 
中学校ではバスケットボール部へと入部。
当時スラムダンクがめちゃくちゃ流行っていたことが理由でも
ありました(笑)3年間頑張りましたが、小学校時代の野球と
一緒で練習をよくサボっていました(あまりのかわらなさに悲しくなります)
 
高校に入って初めてのバイト、一番初めはコンビニの店員でした。
地元の駅前にあるampmで週2日ほど働き、月収5万円でも
すごくうれしかったのを覚えています。高校2年生で初めて
彼女らしい彼女ができました…(照)。
 
中学生のころにも
1度おつきあいした子がいたのですがお互い照れてしまって、
どこか出かけたりすることもなく別れてしまいました…(よくある話ですね)。
デートしたり、電話したりできる初めての彼女、
同じ高校の子だったので自転車で2人乗りで登下校したり、
一緒にお昼食べたりと青春してました(笑)
 
大学へ進学しましたが、目標もなくただ何となく
通っていた毎日に嫌気がさし1年もたたずに中退…。
ガソリンスタンドやクロネコヤマトなどのバイトの毎日へと
変わりました。いつまでもアルバイトでいるわけにもいかないと
思っていたところアパレル販売員だった友人の誘いで
アパレル業界に入社しました。
 
アパレル販売員というとすごく華やかな印象があると思いますが、
古くからあるアパレル会社だったこともあり実に体育会系なノリでした。
売上が悪いと「昼飯なんか食っているなんて、お前は危機感ないな」
「売上悪いんだから休日出勤当たり前だ」みたいな空気なんです。
他のアパレル会社はどうかわかりませんが、私の勤めていた会社は
そんな感じでした。
 
そんな大変な環境で働き続けていたかある日、
体の異変に気が付きました。
 
下顎(あごの横)のあたりが腫れてきてしまったのです。
まあ腫れもたいしたことなかったので
「ほっておけばすぐ直るかな」と特に気にしませんでした。
 
しかし腫れは治まるどころかみるみる大きくなり、
さすがに接客業としてお客様の目線も気になり、
病院に行くことに。近くの総合病院へ行きましたが先生から
「ここじゃ詳しく調べられないからもっと大きい病院を紹介します」
と言われ大きな大学病院へ行く事に…。
 
それから検査までの数日はとにかく不安でした。
大学病院で沢山の検査をした結果は・・・
 
先生「悪性リンパ腫の可能性がきわめて高いです。・・」
 
私「えっ・・・」
 
先生「なんでもっと早く来なかったの?」
 
私「(心の中)え?悪性リンパ腫って???・・・嘘でしょ??」
 
すぐには現実を受け入れられませんでした…。
数日後にはすぐ入院ということに…。
 
とりあえず親にも報告しないと、とは思うものの言い出せません。
 
私「何か病気になっちゃって入院しなきゃいけないんだよねー」
 
母親「えっ・・何の病気??」
 
私「いやー詳しくはわかんないんだけどさ・・・・」
 
母親「はっきり言いなさいよ!」
 
私「・・・悪性リンパ腫の可能性があるらしい。まだ正確にはわかんないんだけどさー」
 
こう言った後、母親は泣きました。
 
「まだ死ぬって決まったわけじゃないし、俺は克服するよ!」
なんて言いましたが、私も心の中では泣いていました。
 
入院の準備をするうちに徐々に自分の状況を受け入れられるようになる一方で、
同時に「後悔」の思いが強くなります。
 
「挑戦したかったのに挑戦しなかったこと」 に対しての後悔です。
あれをやっておけばよかった…
これもやっておけばよかった…、など多くの思いがかけめぐり、
漠然と持っていた「将来は独立する!」といった気持ちもドンドン大きくなっていました。
 
「なんで俺は挑戦しなかったんだ・・・
成功する、しないの前に俺はスタートすらできていなかった・・くそっ…」
本当に後悔しました。
 
入院当日…
手術は3日後だった為、本やDVDなどを持って行きましたが
楽しむ気持ちになれません。全身麻酔の手術を受け、
下顎にある腫瘍の一部を切除し詳しく検査しました。
 
検査結果がでるまでには1週間ほどかかりました。

それは長い長い1週間でした…
 
なぜなら先生に
「症状的にはほぼ悪性リンパ腫であるから覚悟していてほしい…
都内のがんセンターを紹介するから」とまで言われていたからです。
 
そして検査結果、
 
先生「とりあえず安心してください」
 
私「えっ・・・」
 
先生「斉藤さん、悪性のものではなかったんですよ!」
 
私「えっ、本当ですか先生!!そっかぁ…悪性リンパ腫ではなかったのかぁ…」
 
検査の結果「木村病」という病気だったことが判明。
全国でも極めて症例数の少ない奇病だったらしく
写真なども結構撮られました。(苦笑)
 
私の症状だとほぼ間違いなく悪性種のガンを疑うのですが、
珍しいケースだったようです。

退院後、私を待っていたのが「せどり」でした

このような経験をしたこともあって、退院したら本当に
やりたいことに挑戦する人生にしようと心に決めました。
胸にずっと秘めていた「起業」を決意した瞬間でもありました。
 
起業して沢山稼いで、美味しいものをいっぱい食べて、
色んなところに旅行に行って・・・ 悠々自適な生活を実現するんだ!
などと考えていました。
 
しかし現実はというと、「一体何をすればいいのか??」という
状況でした。意気込みだけはあったんですが、具体的には
何も考えていなかったんですね…(汗)
 
アフィリエイト!でもアフィリエイトは前に挑戦したけど
全く稼げなかったし…
株式投資!でも株も前に損しちゃったし…
不動産投資!でも資金は5万円しかないから頭金にもならないし…
こんな調子でしたから、ただただ焦ってばかりで進まない毎日です。
 
そんな時もう見ないし、お金ないもないし売ってしまおうと
「人志松本のすべらない話の初回版のDVD」を
オークションに出品したんです。
 
定価4000円位のDVDが、15000円ほどの値段がついたんです。
 
驚きですよね。
え?中古だよ?なんで定価の何倍もの値段がついたの??と思うわけです。
オークションでは、中古でも高い値段が付く物があることを知ります。
この出来事をきっかけに自宅にある不要品を売りました。
 
しかし自宅にあるものだけではあっという間に売るものがなくなります。
そこでインターネットでいろいろと検索してみました。
 
色々と調べていくうちに「ブックオフで本を仕入れて
Amazonでその商品をを売る【せどり】という方法が
儲かる」という情報にたどり着きます。
 
ブックオフなら近所にあるので会社帰りにでもと
行っては見るのですが、何を買っていいのか全く分かりません。
 
ただ事前に「105円の本を仕入れて高く売れば儲かる」
みたいなことを見つけていたので、105円の商品の中から
売れそうなタイトルを選んで仕入れてみました。
 
結果はと言いますと、見事に外れ。(笑)
どれもこれも1円で出品されている本ばかりでした…(涙)
 
それでもこのせどりというビジネスに可能性を感じ、
インターネットでせどりの情報を集めてはブックオフへ
仕入れ、ということを続けていました。
 
私は20代前半のころ倉庫の荷物の運搬の仕事を
していた時に腰を痛めた経験があったのですが、
ブックオフで大量に本を仕入れて運搬する毎日で見事に再発…
 
儲からないわ、腰を痛めるわで、見事にブックオフせどりに挫折です。
 
でも稼ぎたいという気持ちは折れていなかったので、
もっと別な方法を探し始めます。
「もっと楽に稼ぐ方法はないのなかなぁ」なんて思っていました。(笑)
 
ブックオフせどりについて調べていたとき「Amazonで売る」
という方法があることにたどり着きました。
 
そこでネットで仕入れる方法へと方向転換です。
腰を痛めた私の苦肉の策でした。
 
まずは元々自分の好きなジャンルでリサーチしていきました。
CDを聞いたりDVDを見たりするのが好きだったので
 
ただ思うように稼げそうな商品は見つかりません。
最初こそ何時間もパソコンに向かって頑張るのですが、
日に日にリサーチ時間は短くなっていきます…。
 
Amazonで高く売れそうな商品だ!と仕入れてみるものの
思うように売れなくて結局赤字…
こんなことを続けていくうちにさすがに心が
折れそうになっていました。そんな時でした。

4000円がたった2時間で28000円に!

ある商品がめちゃくちゃ高い値段で売れたんです!
嵐のall or nothingというDVDでした。
 
ケースなしで4000円くらいでヤフオクで仕入れて自分で
ケースを購入ケースに入れてAmazonで28000円くらいで試しに
出品してみたんです。
 
そしたら2時間後には売れていました…。
たった2時間ほどで20000円ほどの利益が出たんです…。
もうそれは大興奮です。思わず小躍りですよ。(笑)
 
本業のアパレルの仕事では休みなく働いて月に15万円ほどのお給料…
日給にしたら5千円ほど…今考えればなんという条件で働いていたんだと…(涙)
 
それがたった一つの商品を出品しただけ、
2時間後には2万円の利益です。
しかも家でゴロゴロしながら探して仕入れた商品だったんです。
もうね、会社で1日12時間くらい働いているのがばかばかしく思いましたよ。
 
この出来事がきっかけで、せどりというビジネスも、
儲かる商品を探すリサーチも楽しくなっていきました。
そして気づいたときは月に10万円ほどの売上になっていました。
 
利益だと5万円ほどです。ただ元々資金があまり無かったので、
仕入れが思うように出来ないんですね。
そこで、クレジットカードを使うようになります。
 
初めは本当にビビりながらでした…。クレジットカードを
使っても返済できなかったら…なんて思いながらの仕入れです。
 
ただクレジットカードを使うことで仕入れる量が増やせるようになり、
比例して売り上げもあがるようになっていきます。
月に50万円ほどの売上があがるようになりました。
 
銀行口座に売上金の50万円が入金されると、すごく儲かった気になります。
 
浮かれている頃にクレジットカード会社から
数十万円の請求がきて現実に引き戻されます…(笑)
 
このようなきっかで仕入れを増やすことになり、
繰り返していく事で月の売り上げは100万円近くまできました。
 
相変わらずクレジットカードからの請求に追われていましたけどね(笑)
月に1回だけ、自分へのご褒美で近所の焼き肉屋さんに。
この楽しみをモチベーションに頑張りました。
(焼肉が楽しみで頑張れるなんて単純!って思いました??笑)

月商100万円を超えて独立を意識

月商100万円を超え資金にも余裕がでてきたので、
中古を扱いつつ新品も扱うようになりました。
 
AKB48の「会いたかった」というCDの初回限定版を新品で
12000円位で仕入れてみたところ、そのCDは49800円で売れました。
 
中古は日が経つにつれ商品が増えていきくので割と相場に
近い価格帯でないと売れません。新品は日が経つにつれ商品が
少なくなくなっていくんですね、出品者が自分だけとなると
相場を無視した値段をつけられるようになります。
 
属に言う、俺様価格ってやつです。
49800円で売れたAKB48のCDはまさに俺様価格でした。
 
このことをきつかけに扱う商品は、
中古から新品へとシフトしていきます。
 
ちょうどその頃でした、勤めていたアパレルの
会社にある人が入社してきました。
 
歳は50歳手前くらいだったと思いますが、
すごくよく売るスーパー販売員として名の知れた人だったんです。
 
当時在籍していた会社を首になり、僕の部下として
入社してきたんですね。ただ、正直複雑でした。
 
社長は「もう歳だし、どうせ行くとこないから
最低賃金で雇ってやった」と言っていましたし…。
 
他人事とは思えませんでした。あんなに結果を出してきた人が
年を取って必要とされなくなる瞬間を目の当たりにするわけです…。
 
「自分も結局年を取ったら同じようになるのでは…」
 
会社の業績も年々厳しくなる一方でしたから、
より一層独立への思いが強くなります。
 
「とにかくまずはせどりで安定的に
稼げるようになって会社を辞めよう」
そう思いました。自らを追い込むためにも、
会社を辞める決意をし、社長に意志を伝えました。
 
とは言っても葛藤はありました。
会社員として働いていれば少ないとは言え毎月お給料が貰えます。
やっぱり独立することへの恐怖は大きなものでした。
 
色々と心配をかけ親にも相談しましたが、
「独立なんてこの不景気ではうまくいくはずがない・・・」と言われます。
 
一方で独立の為にとセミナーなどにも出席する機会が増えていたのですが、
そこでお会いする経営者の方からは、
「何で会社辞めないの?とにかく辞めちゃいなよ。
その方が稼げるよ!」と言われたりもします。
 
心は揺れました。
 
でも独立して稼いでいる方から頂くアドバイスは、
「早く辞めた方がいいよ!」という内容ばかりです。
病気をして後悔でいっぱいになった時の気持ちを思い出しました。
結論は最初から出ていたはずです。
 
「よし、明日社長に辞める意思を伝えよう!」そう決心しました。

 
翌日、
「僕は会社を辞めたいと考えています。
病気をして死ぬかもしれないと思ったときに後悔するような
人生にはしたくないと思ったんです。
僕は独立をしたいという気持ちがあります。
失敗してもいいのでとにかくチャレンジしたいんです。
だから辞めさせてください。」
 
正確には覚えていないのですがこのようなことを伝えました。

独立は予期せぬタイミングで突然に

社長には引き止められましたが僕の意思が固いということを
理解して頂き、半年後の退職を目途にそれまでは引き続きを
しっかりとすること、となりました。
 
これが2011年の2月のことです。
「よし、半年後の8月までにせどりを軌道に乗せるぞ」と
気合いが入っていました。
 
ところが2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
 
私の住んでいる千葉も今まで経験したことのないぐらいの揺れでした。
電車も止まり大混乱でした。震災の影響で、せどりの商品を
保管するFBAのセンターも被害を受け出荷停止の状態に陥りました。
 
しかも再会目処は未定、出荷されないということは
売上があがらないことを意味します。
 
悪夢は続きました。
 
会社も震災の影響でを受けている状況で人件費なども
大変な時期です。退職の決まっている私に
「はやく独立したいでしょ?今日で辞めてもいいよ?」と
通達がありました。
 
独立する予定ではあったものの、
予期せぬタイミングで不安になりました。
 
震災直後の大混乱、FBAの停止でせどりでの売り上げもゼロ、
FBAで保管していた荷物も震災の影響でどうなっているのか
わからない状態です。
 
最悪バイトでもなんでもすればいい、と腹を決めました。
幸いなことに4月の上旬頃にはFBAも販売再会され徐々に
売り上げも上がっていくように。
 
準備万端とは言えないタイミングではありましたがついに
独立することになりました。2011年4月、今の会社を設立しました。

「予約転売」を取り入れブレイクスルー

独立後せどり一本に集中することで
月商300万円~500万円くらいを推移するまでになっていました。
 
手法としては、
オークションで仕入れて、Amazonで売るという電脳せどり一本でした。
しかしこの頃限界を感じていました。
 
元々資金が潤沢だったわけではないので、回転を速く回すことを
意識していました。いつか売れるかもしれないと長期的な視野での
仕入れは出来なかったんですね。
そんなこともあって、この頃電脳せどりだけでは頭打ちになると
感じていました。
 
どうすれば現状を打破できるのか、たどり着いた答えが「予約転売」です。
 
当時は予約転売などの手法も確立されておらず、
完全に独学で実践していきました。
 
予約転売はとにかく旬のものを扱うので回転が速く、
資金効率の良い方法です。それでいて、一気に売上を上げることも出来ます。
 
実際に大きく儲かった商品との1つにミスチル初のベストアルバムがあり、
初回版を扱うことで300万円ほどの利益を出すことが出来ました。
 
もちろん失敗もしましたが、繰り返し実践し経験を積むことで、
失敗する確率も減り、どうすれば大きな利益を得られるのか
ノウハウを確立することが出来ました。
 
この方法はスクールでもお話しています。
多くの受講生の方が同じように利益を出せるようになっています。
 
これは僕だからできるということではなく、しっかり実践している
僕のコンサル生さんも利益を出していますのでしっかりとした方法を
実践していれば誰でもできるノウハウだと確信しています。

月商1000万円を達成するも壁にぶちあたる

予約転売を取り入れたことで月商1000万円は到達できました。
しかし予約転売はめぼしい商品がない時には大きな売り上げ
にはならない方法でもありました。安定的に売上を上げる
方法とは言えませんでした。
 
電脳せどり一本での限界を予約転売で突破したかに見えましたが、
ここでまた壁にぶち当たりました。もっと規模を大きくしたい、
そう考えていた私がたどり着いた結論は「ジャンルの拡大」です。
 
一般的にせどりは、CD、DVD、ゲーム、ホビー、おもちゃ、
家電などを扱うイメージがあると思いますが、世の中には
まだまだ沢山の商品があります。こうした一般的には
扱っていない商品ジャンルへ乗り出そうと考えました。とは言え、
未開拓のジャンルですから、誰もやり方を教えてくれません。
とにかく自分で実践して試していくしかありません。
 
出品からどのくらいの期間で売れるのか?
売れたとしてもクレームなどが起きないか?
不良品の発生する確率はどのくらいかな?
などなどとにかくテストを繰り返しながら多くのジャンルを
開拓していきました。
 
情報が出回っていないジャンルは未知の世界でありリスクも
ありますが、同時に競合がいないことを意味します。
そこはまさにブルーオーシャンでした。
 
回転率も良く利益率も高い、そんな商品は探せば
沢山あることに気が付くことが出来ました。
こうして新たなジャンルを開拓することで、
月商1000万円の規模を突破し、2000万円ほどの規模に
まで成長させることが出来ました。
 
月商2000万円位になると経済的にも余裕が出てきます。
収入だと大企業の社長レベルの金額ですよね。
起業当初は利益を仕入れにまわしていましたので
本当にお金の無い生活でした…。
 
車なんて持てませんし、食事も月1回の焼き肉が
唯一の楽しみでした。
 
年収が上がると信用も上がります。
一番嬉しかったのはプラチナカードが持てたことです。
プラチナカードの招待状が家に届いたときは
本当嬉しかったのを覚えています。
 
「俺プラチナカードなんて持っちゃっていいの??」
なんてニヤニヤしながら眺めていました。(笑)
 
プラチナカードだとコンシェルジュがつくんですね。
「○○近辺でお洒落で落ち着く雰囲気でお肉料理が美味しいお店ない?」
なんて要望するとすぐに探してくれ予約までしてくれます。
お店の予約とかだけではなく何でもやってくれます。
 
一度はファーストクラスに乗ってみたり、ホテルのスイートルームに
泊まりたいとは思っていましたが、これも全部実現することが出来ました。
せどりに出会えたことに感謝した瞬間でもあります。

更なるチャレンジで月商4000万円を達成!

私のチャレンジはまだまだ続きます。
 
ジャンルの拡大で売上を伸ばすことが出来た次は、
販路の拡大に取り組みました。
 
せどりと言えば「Amazonで売る」ことがベースとなりますが、
Amazonじゃないと売れないわけではないんですね。
私も同じように感じていたのですが、あるテレビ番組がヒントになりました。
 
地方の小さなスーパーマーケットの特集をやっていたのですが、
そのスーパーの年商は10億円でした。びっくりしました、
「こんな小さなお店がそんなに売れてるの??」って
正直に思ってしまいました。
 
スーパーとは言っても販路を多く持っていたことが
その秘密だったんですね。そこで気が付くわけです。
 
せどりと言えばAmazonで販売する、と決めつけてしまいがちですが、
視野を広げてみれば販売する場所はそこだけではないことに
気が付くことが出来ます。もちろんAmazon自体は大きな市場では
あるのですが、国内のあらゆる市場を含めて考えると
それは本当にごくごく狭い範囲であることが分かります。
 
さらに国内だけでなく海外の市場まで含めた視野で考えると、
販路はいくらでも開拓できると考えました。
こうしてAmazon以外の販路の拡大にもチャレンジしていきました。
 
こうして振り返ってみると私がここまで順調に拡大できた一番の要因は
「チャレンジ精神」にあったことに気が付くことが出来ます。
ビジネスセンスがあったわけでも、多くの資金があったわけでもありません。
強い意志とチャレンジ精神、これだけです。
 
Amazon以外の販路の拡大への挑戦は、
開始から3ヶ月で月商2400万円もの売上になりました。
 
もちろんAmazonでの販売も並行して行っていましたので、
両方合わせると月商4000万円となりました。
 
その後海外への販路拡大にも挑戦、海外への販売だけで
月商3000万円もの売上規模へと成長させることも出来ました。

これは「私だからできた」わけではありません

せどりで月商4000万円を達成したと聞くと、
多くの人が「斉藤さんだからできたんでしょ?」と言いますが、これは違います。
 
先程も少しお話しましたが、私には何か特別な才能があったわけでもなく、
沢山の資金を持っていたわけでもありません。
 
ただ愚直に実践しチャレンジを続けてきた、
これが今の結果に繋がったたった1つの理由であり事実だと思います。
 
そしてこれは今このページをお読みのあなたにも実現可能な事実です。
 
せどりはとにかくシンプルなビジネスです。
正しい方法でしっかりと実践して頂くことで成果に繋げることが可能です。
 
せどりの学校ドットコムを通じて、多くの方が「自分らしい人生」を
手に入れて欲しいと願っています。本気で人生を変えたい、
そんな方のお手伝いが出来ればと考え設立したのが
「せどりの学校ドットコム」です。
 
理想の人生の実現に向けて、
一緒に頑張っていきましょう。

学長プロフィールと実績

はじめまして、
この度はせどりの学校ドットコムへのご訪問ありがとうございます。
学長の斎藤啓太と申します。
「人生は1度きり」
 
これは私が常日頃に思っている事です。
 
この後詳しくお話させて頂くプロフィールをご覧頂ければお分かりいただけますように、私は一度「がん宣告」を受けた経験があります。
 
無事に生還でき、こうしてせどりの学校ドットコムを立ち上げることが出来ましたが、がん宣告された時の思いは今でも忘れていません。
 
人生は1度きり、頭では分かっていたとしても、本気でそう強く思い行動している方はあまりいないのではないか?私はそう感じています。
 
実際に私もそうだったからです。
 
「いつか独立して会社に縛られずに自由にいきたい!」とは思ってはいたものの中々行動できずにいました。
 
がん宣告を受けて「自分はこのまま死んでしまうかもしれない」そう思うことができた経験は私の人生に取っては大きなプラスになりました。
 
この経験のおかげで悔いのない人生にしようと心の底から強く思い、独立して自由に生きる為になにをすればいいのかを真剣に考えるようになったからです。
 
私はせどりに出会い、実践することで、自分自身のビジネスを持つことができ、自由な自分自身の人生を持つことが出来ました。
 
これは、今このページをお読み頂いているあなたにも可能な未来です。
せどりを始めて、どんな未来を手にしたいですか?
どれだけ稼いでみたいですか?
齋藤_実績
いかがでしょうか?月によって多少の前後はあるものの、トータルではお陰様で右肩上がりの順調な成長を続けています。
 
これらは全て「せどり」での売上になります。せどりと聞くと副業レベルのイメージがありかもしれませんが、本業として大きく稼ぎだすことが出来るビジネスとして実践することも可能です。
 
私がこのビジネスに出会うまでには様々な紆余曲折がありました…。
せどりとの出会いから、独立、月商4000万円を達成するまでのことを少しお話させて下さい。

きっかけはまさかの
「がん宣告」

1978年4月10日に父の実家のあった千葉で生まれた私は、小さいころは髪を切るのが大嫌いな少年でした。その為女の子と間違えられることも多かったようです。
 
小さなころは外でサッカーをしたり体を動かすのが大好きでした。
好きな娘のスカートめくりもよくしていたそうです(悲)
小学校4年生で野球チームに入ったんですが監督が厳しい人で土曜日や日曜日も練習漬け…好きだったんですけど遊びたい気持ちもあり休む理由をいつも考えていました…(笑)
 
中学校ではバスケットボール部へと入部。
当時スラムダンクがめちゃくちゃ流行っていたことが理由でもありました(笑)3年間頑張りましたが、小学校時代の野球と一緒で練習をよくサボっていました(あまりのかわらなさに悲しくなります)
 
高校に入って初めてのバイト、一番初めはコンビニの店員でした。地元の駅前にあるampmで週2日ほど働き、月収5万円でもすごくうれしかったのを覚えています。高校2年生で初めて彼女らしい彼女ができました…(照)。
 
中学生のころにも1度おつきあいした子がいたのですがお互い照れてしまって、どこか出かけたりすることもなく別れてしまいました…(よくある話ですね)。デートしたり、電話したりできる初めての彼女、同じ高校の子だったので自転車で2人乗りで登下校したり、一緒にお昼食べたりと青春してました(笑)。
 
大学へ進学しましたが、目標もなくただ何となく通っていた毎日に嫌気がさし1年もたたずに中退…。ガソリンスタンドやクロネコヤマトなどのバイトの毎日へと変わりました。いつまでもアルバイトでいるわけにもいかないと思っていたところアパレル販売員だった友人の誘いでアパレル業界に入社しました。
 
アパレル販売員というとすごく華やかな印象があると思いますが、古くからあるアパレル会社だったこともあり実に体育会系なノリでした。売上が悪いと「昼飯なんか食っているなんて、お前は危機感ないな」「売上悪いんだから休日出勤当たり前だ」みたいな空気なんです。他のアパレル会社はどうかわかりませんが、私の勤めていた会社はそんな感じでした。
 
そんな大変な環境で働き続けていたかある日、体の異変に気が付きました。
 
下顎(あごの横)のあたりが腫れてきてしまったのです。まあ腫れもたいしたことなかったので「ほっておけばすぐ直るかな」と特に気にしませんでした。
 
しかし腫れは治まるどころかみるみる大きくなり、さすがに接客業としてお客様の目線も気になり、
病院に行くことに。近くの総合病院へ行きましたが先生から「ここじゃ詳しく調べられないからもっと大きい病院を紹介します」と言われ大きな大学病院へ行く事に…。
 
それから検査までの数日はとにかく不安でした。
 
大学病院で沢山の検査をした結果は・・・
 
先生「悪性リンパ腫の可能性がきわめて高いです。・・」
 
私「えっ・・・」
 
先生「なんでもっと早く来なかったの?」
 
私「(心の中)え?悪性リンパ腫って???・・・嘘でしょ??」
 
すぐには現実を受け入れられませんでした…。数日後にはすぐ入院ということに…。
 
とりあえず親にも報告しないと、とは思うものの言い出せません。
 
私「何か病気になっちゃって入院しなきゃいけないんだよねー」
 
母親「えっ・・何の病気??」
 
私「いやー詳しくはわかんないんだけどさ・・・・」
 
母親「はっきり言いなさいよ!」
 
私「・・・悪性リンパ腫の可能性があるらしい。まだ正確にはわかんないんだけどさー」
 
こう言った後、母親は泣きました。
 
「まだ死ぬって決まったわけじゃないし、俺は克服するよ!」なんて言いましたが、私も心の中では泣いていました。
 
入院の準備をするうちに徐々に自分の状況を受け入れられるようになる一方で、同時に「後悔」の思いが強くなります。
 
「挑戦したかったのに挑戦しなかったこと」 に対しての後悔です。
あれをやっておけばよかった…
これもやっておけばよかった…、など多くの思いがかけめぐり、漠然と持っていた「将来は独立する!」といった気持ちもドンドン大きくなっていました。
 
「なんで俺は挑戦しなかったんだ・・・
成功する、しないの前に俺はスタートすらできていなかった・・くそっ…」本当に後悔しました。
 
入院当日…
手術は3日後だった為、本やDVDなどを持って行きましたが楽しむ気持ちになれません。全身麻酔の手術を受け、下顎にある腫瘍の一部を切除し詳しく検査しました。
 
検査結果がでるまでには1週間ほどかかりました。

それは長い長い1週間でした…
 
なぜなら先生に「症状的にはほぼ悪性リンパ腫であるから覚悟していてほしい…都内のがんセンターを紹介するから」とまで言われていたからです。
 
そして検査結果、
 
先生「とりあえず安心してください」
 
私「えっ・・・」
 
先生「斉藤さん、悪性のものではなかったんですよ!」
 
私「えっ、本当ですか先生!!そっかぁ…悪性リンパ腫ではなかったのかぁ…」
 
検査の結果「木村病」という病気だったことが判明。
全国でも極めて症例数の少ない奇病だったらしく写真なども結構撮られました。(苦笑)
 
私の症状だとほぼ間違いなく悪性種のガンを疑うのですが、珍しいケースだったようです。

退院後、私を待っていたのが「せどり」でした

このような経験をしたこともあって、退院したら本当にやりたいことに挑戦する人生にしようと心に決めました。胸にずっと秘めていた「起業」を決意した瞬間でもありました。
 
起業して沢山稼いで、美味しいものをいっぱい食べて、色んなところに旅行に行って・・・ 悠々自適な生活を実現するんだ!などと考えていました。
 
しかし現実はというと、「一体何をすればいいのか??」という状況でした。意気込みだけはあったんですが、具体的には何も考えていなかったんですね…(汗)
 
アフィリエイト!でもアフィリエイトは前に挑戦したけど全く稼げなかったし…
株式投資!でも株も前に損しちゃったし…
不動産投資!でも資金は5万円しかないから頭金にもならないし…
こんな調子でしたから、ただただ焦ってばかりで進まない毎日です。
 
そんな時もう見ないし、お金ないもないし売ってしまおうと「人志松本のすべらない話の初回版のDVD」をオークションに出品したんです。
 
定価4000円位のDVDが、15000円ほどの値段がついたんです。
 
驚きですよね。
 
え?中古だよ?なんで定価の何倍もの値段がついたの??と思うわけです。
オークションでは、中古でも高い値段が付く物があることを知ります。
この出来事をきっかけに自宅にある不要品を売りました。
 
しかし自宅にあるものだけではあっという間に売るものがなくなります。
そこでインターネットでいろいろと検索してみました。
 
色々と調べていくうちに「ブックオフで本を仕入れてAmazonでその商品をを売る【せどり】という方法が儲かる」という情報にたどり着きます。
 
ブックオフなら近所にあるので会社帰りにでもと行っては見るのですが、何を買っていいのか全く分かりません。
 
ただ事前に「105円の本を仕入れて高く売れば儲かる」みたいなことを見つけていたので、105円の商品の中から売れそうなタイトルを選んで仕入れてみました。
 
結果はと言いますと、見事に外れ。(笑)
どれもこれも1円で出品されている本ばかりでした…(涙)
 
それでもこのせどりというビジネスに可能性を感じ、インターネットでせどりの情報を集めてはブックオフへ仕入れ、ということを続けていました。
 
私は20代前半のころ倉庫の荷物の運搬の仕事をしていた時に腰を痛めた経験があったのですが、ブックオフで大量に本を仕入れて運搬する毎日で見事に再発…
 
儲からないわ、腰を痛めるわで、見事にブックオフせどりに挫折です。
 
でも稼ぎたいという気持ちは折れていなかったので、もっと別な方法を探し始めます。
「もっと楽に稼ぐ方法はないのなかなぁ」なんて思っていました。(笑)
 
ブックオフせどりについて調べていたとき「Amazonで売る」という方法があることにたどり着きました。
 
そこでネットで仕入れる方法へと方向転換です。腰を痛めた私の苦肉の策でした。
 
まずは元々自分の好きなジャンルでリサーチしていきました。
CDを聞いたりDVDを見たりするのが好きだったので多少の知識はあったことが理由です。
 
ただ思うように稼げそうな商品は見つかりません。最初こそ何時間もパソコンに向かって頑張るのですが、日に日にリサーチ時間は短くなっていきます…。
 
Amazonで高く売れそうな商品だ!と仕入れてみるものの思うように売れなくて結局赤字…
こんなことを続けていくうちにさすがに心が折れそうになっていました。そんな時でした。

4000円がたった2時間で28000円に!

ある商品がめちゃくちゃ高い値段で売れたんです!嵐のall or nothingというDVDでした。
 
ケースなしで4000円くらいでヤフオクで仕入れて自分でケースを購入ケースに入れてAmazonで28000円くらいで試しに出品してみたんです。
 
そしたら2時間後には売れていました…。たった2時間ほどで20000円ほどの利益が出たんです…。もうそれは大興奮です。思わず小躍りですよ。(笑)
 
本業のアパレルの仕事では休みなく働いて月に15万円ほどのお給料…日給にしたら5千円ほど…今考えればなんという条件で働いていたんだと…(涙)
 
それがたった一つの商品を出品しただけ、2時間後には2万円の利益です。しかも家でゴロゴロしながら探して仕入れた商品だったんです。もうね、会社で1日12時間くらい働いているのがばかばかしく思いましたよ。
 
この出来事がきっかけで、せどりというビジネスも、儲かる商品を探すリサーチも楽しくなっていきました。そして気づいたときは月に10万円ほどの売上になっていました。
 
利益だと5万円ほどです。ただ元々資金があまり無かったので、仕入れが思うように出来ないんですね。そこで、クレジットカードを使うようになります。
 
初めは本当にビビりながらでした…。クレジットカードを使っても返済できなかったら…なんて思いながらの仕入れです。
 
ただクレジットカードを使うことで仕入れる量が増やせるようになり、比例して売り上げもあがるようになっていきます。月に50万円ほどの売上があがるようになりました。
 
銀行口座に売上金の50万円が入金されると、すごく儲かった気になります。
 
浮かれている頃にクレジットカード会社から数十万円の請求がきて現実に引き戻されます…(笑)
 
このようなきっかで仕入れを増やすことになり、繰り返していく事で月の売り上げは100万円近くまできました。
 
相変わらずクレジットカードからの請求に追われていましたけどね(笑)。月に1回だけ、自分へのご褒美で近所の焼き肉屋さんに。この楽しみをモチベーションに頑張りました。(焼肉が楽しみで頑張れるなんて単純!って思いました??笑)

月商100万円を超えて
独立を意識

月商100万円を超え資金にも余裕がでてきたので、中古を扱いつつ新品も扱うようになりました。
 
AKB48の「会いたかった」というCDの初回限定版を新品で12000円位で仕入れてみたところ、そのCDは49800円で売れました。
 
中古は日が経つにつれ商品が増えていきくので割と相場に近い価格帯でないと売れません。新品は日が経つにつれ商品が少なくなくなっていくんですね、出品者が自分だけとなると相場を無視した値段をつけられるようになります。
 
属に言う、俺様価格ってやつです。49800円で売れたAKB48のCDはまさに俺様価格でした。
 
このことをきつかけに扱う商品は、中古から新品へとシフトしていきます。
 
ちょうどその頃でした、勤めていたアパレルの会社にある人が入社してきました。
 
歳は50歳手前くらいだったと思いますが、すごくよく売るスーパー販売員として名の知れた人だったんです。
 
当時在籍していた会社を首になり、僕の部下として入社してきたんですね。ただ、正直複雑でした。
 
社長は「もう歳だし、どうせ行くとこないから最低賃金で雇ってやった」と言っていましたし…。
 
他人事とは思えませんでした。あんなに結果を出してきた人が年を取って必要とされなくなる瞬間を目の当たりにするわけです…。
 
「自分も結局年を取ったら同じようになるのでは…」
 
会社の業績も年々厳しくなる一方でしたから、より一層独立への思いが強くなります。
 
「とにかくまずはせどりで安定的に稼げるようになって会社を辞めよう」そう思いました。自らを追い込むためにも、会社を辞める決意をし、社長に意志を伝えました。
 
とは言っても葛藤はありました。会社員として働いていれば少ないとは言え毎月お給料が貰えます。やっぱり独立することへの恐怖は大きなものでした。
 
色々と心配をかけ親にも相談しましたが、「独立なんてこの不景気ではうまくいくはずがない・・・」と言われます。
 
一方で独立の為にとセミナーなどにも出席する機会が増えていたのですが、そこでお会いする経営者の方からは、「何で会社辞めないの?とにかく辞めちゃいなよ。その方が稼げるよ!」と言われたりもします。
 
心は揺れました。
 
でも独立して稼いでいる方から頂くアドバイスは、「早く辞めた方がいいよ!」という内容ばかりです。病気をして後悔でいっぱいになった時の気持ちを思い出しました。結論は最初から出ていたはずです。
 
「よし、明日社長に辞める意思を伝えよう!」そう決心しました。

 
翌日、
「僕は会社を辞めたいと考えています。病気をして死ぬかもしれないと思ったときに後悔するような人生にはしたくないと思ったんです。僕は独立をしたいという気持ちがあります。失敗してもいいのでとにかくチャレンジしたいんです。だから辞めさせてください。」
 
正確には覚えていないのですがこのようなことを伝えました。

独立は予期せぬタイミングで突然に

社長には引き止められましたが僕の意思が固いということを理解して頂き、半年後の退職を目途にそれまでは引き続きをしっかりとすること、となりました。
 
これが2011年の2月のことです。「よし、半年後の8月までにせどりを軌道に乗せるぞ」と気合いが入っていました。
 
ところが2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生しました。
 
私の住んでいる千葉も今まで経験したことのないぐらいの揺れでした。
電車も止まり大混乱でした。震災の影響で、せどりの商品を保管するFBAのセンターも被害を受け出荷停止の状態に陥りました。
 
しかも再会目処は未定、出荷されないということは売上があがらないことを意味します。
 
悪夢は続きました。
 
会社も震災の影響でを受けている状況で人件費なども大変な時期です。退職の決まっている私に「はやく独立したいでしょ?今日で辞めてもいいよ?」と通達がありました。
 
独立する予定ではあったものの、予期せぬタイミングで不安になりました。
 
震災直後の大混乱、FBAの停止でせどりでの売り上げもゼロ、FBAで保管していた荷物も震災の影響でどうなっているのかわからない状態です。
 
最悪バイトでもなんでもすればいい、と腹を決めました。
幸いなことに4月の上旬頃にはFBAも販売再会され徐々に売り上げも上がっていくように。
 
準備万端とは言えないタイミングではありましたがついに独立することになりました。2011年4月、今の会社を設立しました。

「予約転売」を取り入れ
ブレイクスルー

独立後せどり一本に集中することで月商300万円~500万円くらいを推移するまでになっていました。
 
手法としては、オークションで仕入れて、Amazonで売るという電脳せどり一本でした。しかしこの頃限界を感じていました。
 
元々資金が潤沢だったわけではないので、回転を速く回すことを意識していました。いつか売れるかもしれないと長期的な視野での仕入れは出来なかったんですね。そんなこともあって、この頃電脳せどりだけでは頭打ちになると感じていました。
 
どうすれば現状を打破できるのか、たどり着いた答えが「予約転売」です。
 
当時は予約転売などの手法も確立されておらず、完全に独学で実践していきました。
 
予約転売はとにかく旬のものを扱うので回転が速く、資金効率の良い方法です。それでいて、一気に売上を上げることも出来ます。
 
実際に大きく儲かった商品との1つにミスチル初のベストアルバムがあり、初回版を扱うことで300万円ほどの利益を出すことが出来ました。
 
もちろん失敗もしましたが、繰り返し実践し経験を積むことで、失敗する確率も減り、どうすれば大きな利益を得られるのかノウハウを確立することが出来ました。
 
この方法はスクールでもお話しています。多くの受講生の方が同じように利益を出せるようになっています。
 
これは僕だからできるということではなく、しっかり実践している僕のコンサル生さんも利益を出していますのでしっかりとした方法を実践していれば誰でもできるノウハウだと確信しています。

月商1000万円を達成するも壁にぶちあたる

予約転売を取り入れたことで月商1000万円は到達できました。しかし予約転売はめぼしい商品がない時には大きな売り上げにはならない方法でもありました。安定的に売上を上げる方法とは言えませんでした。
 
電脳せどり一本での限界を予約転売で突破したかに見えましたが、ここでまた壁にぶち当たりました。もっと規模を大きくしたい、そう考えていた私がたどり着いた結論は「ジャンルの拡大」です。
 
一般的にせどりは、CD、DVD、ゲーム、ホビー、おもちゃ、家電などを扱うイメージがあると思いますが、世の中にはまだまだ沢山の商品があります。こうした一般的には扱っていない商品ジャンルへ乗り出そうと考えました。とは言え、未開拓のジャンルですから、誰もやり方を教えてくれません。
とにかく自分で実践して試していくしかありません。
 
出品からどのくらいの期間で売れるのか?
売れたとしてもクレームなどが起きないか?
不良品の発生する確率はどのくらいかな?
などなどとにかくテストを繰り返しながら多くのジャンルを開拓していきました。
 
情報が出回っていないジャンルは未知の世界でありリスクもありますが、同時に競合がいないことを意味します。そこはまさにブルーオーシャンでした。
 
回転率も良く利益率も高い、そんな商品は探せば沢山あることに気が付くことが出来ました。こうして新たなジャンルを開拓することで、月商1000万円の規模を突破し、2000万円ほどの規模にまで成長させることが出来ました。
 
月商2000万円位になると経済的にも余裕が出てきます。収入だと大企業の社長レベルの金額ですよね。起業当初は利益を仕入れにまわしていましたので本当にお金の無い生活でした…。
 
車なんて持てませんし、食事も月1回の焼き肉が唯一の楽しみでした。
 
年収が上がると信用も上がります。
一番嬉しかったのはプラチナカードが持てたことです。
プラチナカードの招待状が家に届いたときは本当嬉しかったのを覚えています。
 
「俺プラチナカードなんて持っちゃっていいの??」なんてニヤニヤしながら眺めていました。(笑)
 
プラチナカードだとコンシェルジュがつくんですね。
「○○近辺でお洒落で落ち着く雰囲気でお肉料理が美味しいお店ない?」なんて要望するとすぐに探してくれ予約までしてくれます。お店の予約とかだけではなく何でもやってくれます。
 
一度はファーストクラスに乗ってみたり、ホテルのスイートルームに泊まりたいとは思っていましたが、これも全部実現することが出来ました。せどりに出会えたことに感謝した瞬間でもあります。

更なるチャレンジで
月商4000万円を達成!

私のチャレンジはまだまだ続きます。
 
ジャンルの拡大で売上を伸ばすことが出来た次は、販路の拡大に取り組みました。
 
せどりと言えば「Amazonで売る」ことがベースとなりますが、Amazonじゃないと売れないわけではないんですね。私も同じように感じていたのですが、あるテレビ番組がヒントになりました。
 
地方の小さなスーパーマーケットの特集をやっていたのですが、そのスーパーの年商は10億円でした。びっくりしました、「こんな小さなお店がそんなに売れてるの??」って正直に思ってしまいました。
 
スーパーとは言っても販路を多く持っていたことがその秘密だったんですね。そこで気が付くわけです。
 
せどりと言えばAmazonで販売する、と決めつけてしまいがちですが、視野を広げてみれば販売する場所はそこだけではないことに気が付くことが出来ます。もちろんAmazon自体は大きな市場ではあるのですが、国内のあらゆる市場を含めて考えるとそれは本当にごくごく狭い範囲であることが分かります。
 
さらに国内だけでなく海外の市場まで含めた視野で考えると、販路はいくらでも開拓できると考えました。こうしてAmazon以外の販路の拡大にもチャレンジしていきました。
 
こうして振り返ってみると私がここまで順調に拡大できた一番の要因は「チャレンジ精神」にあったことに気が付くことが出来ます。ビジネスセンスがあったわけでも、多くの資金があったわけでもありません。強い意志とチャレンジ精神、これだけです。
 
Amazon以外の販路の拡大への挑戦は、開始から3ヶ月で月商2400万円もの売上になりました。
 
もちろんAmazonでの販売も並行して行っていましたので、両方合わせると月商4000万円となりました。
 
その後海外への販路拡大にも挑戦、海外への販売だけで月商3000万円もの売上規模へと成長させることも出来ました。

これは「私だからできた」わけではありません

せどりで月商4000万円を達成したと聞くと、多くの人が「斉藤さんだからできたんでしょ?」と言いますが、これは違います。
 
先程も少しお話しましたが、私には何か特別な才能があったわけでもなく、沢山の資金を持っていたわけでもありません。
 
ただ愚直に実践しチャレンジを続けてきた、これが今の結果に繋がったたった1つの理由であり事実だと思います。
 
そしてこれは今このページをお読みのあなたにも実現可能な事実です。
 
せどりはとにかくシンプルなビジネスです。正しい方法でしっかりと実践して頂くことで成果に繋げることが可能です。
 
せどりの学校ドットコムを通じて、多くの方が「自分らしい人生」を手に入れて欲しいと願っています。本気で人生を変えたい、そんな方のお手伝いが出来ればと考え設立したのが「せどりの学校ドットコム」です。
 
理想の人生の実現に向けて、一緒に頑張っていきましょう。
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